SCSIDNIKUFESIN

14 Nov, 2011

▼昨日は矢場町・賽の目にてログメンのライブ、無事終えてきました。Dinner Set福澤君に入ってもらっての3人で、とてもちゃんとしたバンドのようになれました。福澤君ほんとにありがとう。(慌しい中、ややこしい曲を6曲も覚えてもらって、大変感謝しています。)
この成功体験をこれからの自己暗示にして、次のお誘いがあったら元通りのちんどん鍵盤デュオ体制でやりたいと思います。基本、ダイニングテーブル程度の広さとイス2脚あれば海岸でもどこでもやりますので、どうぞよろしく。
▼終わった後戻った客席で、立ち上がって声をかけてくれたトーマスさんのステージも見たい気持ちをやまやまに抱えながら、金山ブラジルコーヒーへハシゴ。トゥラリカとシラオカの2マン見てきました。客席は見事に知ってる人ばっか。
先手トゥラリカ、持ち曲すべてを演奏してくれて、更にタクミ君のアカペラソロ音源も披露(その場でエアプレイのみ)。序盤数曲、いつにない突っ込みモードで、すわMELT BANANAかビーフハートか?と思ったけど、その後徐々に通常のテンションに近づく。クリムゾンにしろツェッペリンにしろ、もっと普通のバンドでも(様式美が売りのRAINBOWでさえ)、昔は「ライブはライブの表現」があったわけですが、昨今の時世でそんな楽しみをもてる本当に数少ない人達です。作風のほうは、初期の小音ミニマムグルーヴからいよいよ、混沌の中に両手両足をどっぷり浸からせる様相になってきてますが、まだここからどう進むか分からないのが最高に楽しみ。相変わらず底知れない。
そして後攻のシラオカ。見るのは半年かそれ以上くらい間があいてしまいました。その間にmapから音源をリリースして、覚えのない曲がドーッと増えてて、長い持ち時間でたんまり堪能。全曲ずっと、そんなポップスの/ロックの/ギター使いの抜け道どこにヒント落ちてますか??と面食らいっぱなし。曲のパーツのひとつひとつは生活や経験の中から丁寧にすくい出しておいて、イザそれを届けようという段にあっては、ちょっと慎重に並べて置いていくだけでもう充分という、値打ちのつけようがない手料理的音楽の極北。強烈に記憶に残ってまた戻って来たくなるのはこういう曲だったのだと、漠然と感じてはいながらもはっきり認識したことがなかった感覚を明確に見せてくれました。
その前の晩に、ジュリー・ドワロンの客演で光っていた(頭も)マイケル・フューアスタック率いるSNAILHOUSEのまだ持ってないCDをまとめ買いしかかってたんですが、遅ればせながらシラオカのCD「部屋」を購入したことですっかり満足。ここに入ってない曲で、Cで始まって確かGか何かを経て、Dのちょっとロッキンなセブンスのリフを仕込むあの凄い曲を早く自宅でも聴きたいです。
▼ここまで書いたようなことを、帰ったら日記にこんな風に書こうとか、実際の言葉を思い浮かべながら演奏も見てたんですが、音楽にしろ食べ物にしろ、出してもらったものを楽しむのに何でそんな余計なひと手間付け加えるようになったのかなと、帰路の走行中(自転車)にはたと考えはじめて、すぐ結論が出ました。1)良いと思ったものを人にも知らせて、それをとりまく環境がいっそう繁栄してほしい。2)ストレス解消に似た「感動の消化」という行動。3)要素を分解して、実体を把握しようとすることでそこから具体的に学ぶ。の3つ。ただ楽しむことに言葉が必要ないのはごもっとも。何かをするときに、手持ちのリソースで事欠くならば学習する(3)。公開するのは(1)からくる奉仕心です(経験するまでのところに時間・対価など代償が発生するので)。レビューもライブリポートも、公開学習帳兼備忘録のようなものとして、役立つときには利用してください。といっておいて「全員買ってください」とかしょっちゅう言いますが(これからも)。
▼今日のことはまた明日以降。アンパンマンの魔手から乳幼児を護るにはどうすればいい。