SCSIDNIKUFESIN

16 Mar, 2016

▼ついに季刊ペース。にわかにネタがたまったので更新します。年末年始の長期にわたりミックス作業にかかりっきりであったDOIMOIの1曲は無事OSRUMとのスプリットシングルとしてリリースされました!名古屋・東京・奈良とリリースイベントも企画していますので何卒よろしく。

▼存在を耳にしつつなんとなくスルーした人も多いかもしれない、去る3月13日に東海市芸術劇場で行われた「"鉄のまち" 東海市 鋼鉄フェスティバル N.W.O.B.H.M.を検証する! Live&シンポジウム」に行ってきまして、できる限りのリポートをしようと思います。

まず今回のキャスティングについて少しご説明しておきます。「泣くがいい 声をあげて泣くがいい」等の名言で知られるMASA ITOHこと伊藤政則は、だいたい皆さんが知っているとおりの人だと思うので割愛します。世間にはアンチもいますが、私は別に不信ということもなく、喋ってたら興味深く聞く方です。
BURRN!誌編集長の広瀬氏は、かなり保守的な嗜好を持ちながらも、有名バンドは黄金期よりも時流にちょっと流された頃のほうを褒めたり、「あなたは雇われシンガーなのではないですか?」とインタビューで発言して相手を激怒させたり、いきなり全誌をあげて特定の界隈のジャパメタを持ち上げたりと、まあいろんなところがある人ではあります。
で今回の目玉、元IRON MAIDENのシンガー、ポール・ディアノ。IRON MAIDENのシンガーを務めた人は過去に3人で(デビュー前のことまでは知りませんが)、ポール氏が歌っていたのは初期の2枚のアルバム。パンキッシュなスタイルを持っていた彼の脱退後、朗々としたハイトーンで歌えるブルース・ディッキンソンとの交代をもってバンドはワールドワイドなブレイクを遂げたという歴史があります。当時も今も「メイデンにはポールディアノ」と譲らない一定の層がいるのも事実ながら、その後のキャリアはなかなか奮わず、しかしリタイアもせず現在に至っており、若干、20時台の温泉/グルメ番組的な起用だなーという感もあるというのが正直なところ。
OUTRAGEのドラマー・丹下氏はこうしてディスカッションのパネラーとして登場するのが意外でしたが、とにかく独特なブログが一部のメタラーに愛されている人でもあります。ちなみにOUTRAGEは愛知県芸術文化選奨を受賞している82年結成のメタルバンド。

▼「あんまり売れてない」と聞いていたチケットが一度完売扱いになって、その後しれっと販売再開になり、結局どれくらいの人が集まるのか見当つかずにいましたが、金山駅から会場の太田川駅へ向かう電車に乗り込むと、「明らかにそれ」な男性数人連れの姿がチラホラ。下車するとさらに、不慣れな駅で目的の建物を探す「それ」な人がわらわらと。総じて年齢層は高め。
開始10分前くらいの時点で、ホールの1階席は8~9割の埋まり具合(2階席は未確認)。思ったより盛況で驚く。定刻ちょい過ぎでパネラー一同と今回の仕掛け人である東海市芸術劇場の館長兼芸術総監督・安江正也氏が入場。ここで客席が拍手をしながらもきっと皆内心驚愕していたことには、ポール・ディアノが車椅子に掛けている!!聞いてない!
怪我をしただの何だのと言ってましたが、とにかく夜からのライブパフォーマンスを楽しみにして来たんだとひとしきりマイペースにしゃべり倒す。演奏はするらしいとわかり、いったん安堵が広がる。

今回の趣旨について、安江氏は「レミー・キルミスターをはじめ著名なミュージシャンが高齢を迎えて相次いで亡くなっている。そういうことの後押しもあって、へヴィメタルの原点であるNWOBHMについて、当事者の語る当時の出来事や空気をまとめておきたいと考えた」的なことを説明。完全にメタラー目線ですらすらとメタルのことをしゃべる人で、聞けばこの安江氏、過去にイングヴェイ・マルムスティーンと新日本フィル交響楽団との共演を実現させた張本人との事。へヴィメタルをアカデミックに扱いつつ、弄ぶことは決してないのでこちらも安心感が持てます。(昨今の自嘲が過ぎるメタル対象化の風潮は全然好きではない)

▼シンポジウムは案の定、しゃべり慣れた(ゆえにか、声もでかい)政則氏のペースでおもに進行。「NWOBHMは、パンクで死に絶えたハードロックの焼け野原から現れた有象無象の若いバンドが、以前から活動していたベテランも巻き込んでその後の時代を作ったことに価値があった、そしてIRON MAIDENは中でも他とは比べ物にならない存在だった。へヴィメタルは明らかにハードロックとは違う新しい何かだった」という主軸に、他のパネラーも自分目線で肉付けをしていく中で、「~ていう部分でポールの意見聞きたいよね、ポールどうなの?」と時々親切にポール・ディアノに質問が振られるも、「○○、△△、□□□がIRON MAIDENを特別な存在たらしめていた。DEF LEPPARDがアメリカでブレイクした?JUDAS PRIESTが復活を遂げた?関係ない、IRON MAIDENこそがベスト」みたいな話に必ず収束するといった調子。「あの時のあのツアーがかなり時代の潮目になったと思うんだけど、どう?」と尋ねられても「あーたぶん。それはスティーヴ(・ハリス)に訊いてくれ」などと、(実はちょっと予想していたとおり)何と何が作用してかくかくしかじかの出来事を作った、それが何につながった、的な繊細な考証にはまったく興味がない様子。そのうち同時通訳の話を聞くのを明らかに面倒くさがりだして、ついには「怪我してる脚が痛くて、帰ったら手術が必要なんだけど、とにかく今夜のパフォーマンスに全力を注ぎたい、俺は今日そのため(だけ)に来た」などとゴネて、まさかの中座。館長に車椅子を押され、客席から複雑な拍手で送り出されるポール。

▼取り残された政則氏、広瀬氏、丹下氏(のちに館長も戻る)で、話題は当時のへヴィメタルのセンセーションがいかほどであったか、時代の変わり目をどう感じたかというところに移行。「NWOBHMから数年遅れでLAメタルムーヴメントがあったが、あれはLAでメタルをやるとモテたからみんな集まってきただけでLA出身者なんてほとんどいなかった」「Gジャンをユニフォームみたいにしてたのは、みんなバイク乗りで、かつ革のジャケットを買う金がなかっただけ、これ本当」「スラッシュメタル初期のアングラなシーンてのは、各地に核になるレコードショップがあって、買う金がないからみんな店頭に集まって聴いてた、そのうち自分達の音源をその店に売り込みはじめてレーベルになっていった、それがのちのMETAL BLADEだったりMEGAFORCEだったり…」などなど、スキさえあれば薀蓄をねじ込む生セーソクの情報力にはやっぱりプロ感がありました。とりとめがなくなってきていたところを館長がどうにかまとめ、だいたい開始(13時)から2時間経ったか経たないかのところで、シンポジウムはいったんお開きに。「じゃその音源聴いてみましょう」みたいな気分転換タイムもなくひたすら喋るだけの2時間でしたが、途中退場者もほぼなく、客席は実に礼儀正しく話しに聞き入る様子だったのが、メタルだなという感じです。

▼ホールの外では、丹下氏の知り合いのNWOBHMコレクターの私物を展示したブースがあり、興味深く覗く。見たこともないDEF LEPPARDの7インチがあったり

名盤の誉れ高いTANKの「FILTH HOUNDS OF HADES」は各国盤色違いで6枚あったり

想像を超えるセンスのものもちらほらあったり


なかなか楽しい展示でした。

▼その後、大学時代一緒にDREAM THEATERやRUSHなんぞのコピーをしたことがある先輩の今のバンド仲間の皆さんが集まっているところにいきなり合流し(合う話があればナードは生きていける)、しばし時間をつぶしたのち夜のライブへ。シンポジウムのときからだったんですが、ドラムセットが乗っている段みたいなものに、完全にIRON MAIDENのあのロゴのフォントで「DIANNO」とプリントした幕が垂れている。メイデン代表くらいの勢いで語ってたけど、すごーく前に脱退してるよね?ともちょっと思う。

OUTRAGEの楽器3人+UNITEDギターの大谷氏(巧かった)、そしてやっぱり車椅子に乗ったポールが登場し、"Prowler"、"Wrathchild"、"Murders In The Rue Morgue"などなど往年の名曲からスタート。ヴォーカルは特に衰えることなくむしろ太さが増していて、ビリー・ミラノ(S.O.D.)がだんだん巨漢になるにつれミヴィー!て感じの倍音が効いた高音で歌うようになったのと似た感じの変化。そして、割と容赦なくKILLERSやらソロ名義の作品やら、メイデン脱退後の持ち曲も披露。ここで「この人、ほんとに『ポール・ディアノとして日本に呼ばれて、自分のライブをやりに来た』ていうスタンスだったんだな」とはっきり気付く。90年前後に活動していたKILLERSの2nd「MURDER ONE」がお気に入りなようで、そこからの選曲がけっこうな割合を占めていました。

期待したOUTRAGEの演奏は、PAがこの手の音楽に不慣れなのか機材が思うように揃わなかったのか、ドラムの激打感があんまり伝わらず、全体的にもこぢんまりとしてしまっていた印象。途中完全にボーカル以外の外音が消えたり、ポールが「コイツら行儀がよすぎて音がちっちゃい、もっと上げてくれ」とたびたびゴネるなど、大満足とはいかなかったものの、そこに100点を求める場でもないしという気もしていて、甚大なストレスにはならず。それより曲間でのポールの振る舞いがずっと、外タレお決まりの「盛り上がってんのか?お前ら、起きてんのか?」みたいな調子で、個人的にそこでちょっとずつ盛り下がる。ただアンコールでようやく、OUTRAGE安部氏がフライングVをシェンカーばさみして渾身のリードギターを聴かせてくれたのが本当に良かった。大谷氏はUNITEDのコアなイメージのわりに凄くメタルヒーローな感じで、終始流麗な速弾きでした。

文句ばっかり垂れてるみたいになってますが意義深い場面もちゃんとあって、それは曲を演奏する前にたびたび「これは何々について歌った曲」とポールが語った事。歌だけ受け継いだブルース・ディッキンソンからは出てこない話です。喋ってるときのポールも心なしか活き活きしていた気が。記憶する限り、こんなことを言ってました。
"Running Free"…「若い頃は金がなくて、まあ今もないんだが、でもカバンに100ドルだけ突っ込んでバイクでバーッと街を出ると、自由を感じられて良かったものだ。そういうことについての曲だ」(ところどころリスニングあやしいです)
"Charlotte the Harlot"…「昔、町にとある熟女がいて、彼女は町中の少年共に性交渉のしかたを教える、『地域のヤリ女(※local whoreと言っていた)』みたいなもんだった。彼女は売女のハーロットと呼ばれてた」
"Remember Tomorrow"…「昔一緒にメイデンに居たクライヴ・バーが数年前に亡くなった。クライヴとは一緒につるんで出かけたり、お互いの家に遊びに行ったり本当に親しくしていた。これから演奏する曲を作ったのは、ちょうど俺のじいさんが亡くなりそうだったときで、じいさんのために書き上げた。今日はこれをクライヴに捧げる」
など。

アンコールはちゃんと起こり、代表曲"Iron Maiden"を熱く披露し、もうだいたい有名曲はやり尽くしたという状況で最後は何をやるのかと思ったら、「これからお前らを70年代後半のイギリスの歴史に招待しよう。パンクロックも、まだできたてのへヴィメタルも、一緒に沸きあがっていたクールな時代だった」みたいなことを言って(このへんはシンポジウム本編でも触れていたこと)、アナーキー!インザ!ユーケ~~!と意外すぎるコール。OUTRAGE+UNITEDを後ろに従え、最前に陣取るコアな初期メイデンファン達を煽って「アーー、ワナベー、エナケ~」と歌わせて〆るというなんともいえない離れ業で幕を閉じたのでした。

▼終演後に立ち寄った、太田川駅にほど近い中華料理屋「東菜館 純ちゃん」がパンチーな激盛りで良かったことも記しておきます。ドンブリサイズの白飯に巨大なモモ肉のから揚げ5~6個分相当が中華あんと共につぎ込まれた看板メニュー「カイコー飯」うまいですが気をつけてください(多すぎ)。
他に書くつもりのことがあったんですが、既に長文なので今日はこのへんで。